2009年03月29日

ホンネdeチボリ No.4/5

チボリの墓碑銘を、どこに刻むのか。

 「みんな、黙って見ないふりして、チボリなんてなかったことになればいいって、思っていますか?」
 「そんなことない。更地になってしまったら反対・賛成に限らず責任があるって、思うよ!」
 チボリ反対派と常々言っていた、NPO法人・町屋トラストのNさんにひねくれた質問をしたら、きっぱり、答えが返ってきました。

 選挙結果から言えば、ここ20年来、常にチボリを争点に「充たされない半数の民意」を、岡山県は抱えていたことになります。今回のチボリ閉園にまつわる事柄を、市や県の偉い人に尋ねると「政治的な決着はついたのだから」と一蹴されてしまうのですが、それでは「民意の真意」は、また汲み取られることがないのだな、と思うのです。
 チボリ跡地の有効利用を、市は県に、県はクラボウさんに要望し、クラボウさんは県と旧チボリ・ジャパン社から要望があれば、とのこと。そうこうしているうちに、解体は進みます。「チボリがなくなってもいい」とは思っていない。ましてや更地なんて。
 「民意の真意」はどうもそんなところにありそうなのに、決定能力を持つはずの当事者の不作為によって、駅前の小さな緑の宝石箱は、意味のない冷たい骸に変わっていきます。

 人の通わない川沿いを緑道として整備し、バイキングに囲まれた駅北口のアンデルセン広場と、いったいどんな物語でつなぎ、「クラボウの工場跡地」と書かれた石盤の横にどんな墓碑銘を書き加えるのでしょうか。
 もっと俯瞰して考えれば、チボリの南側まで開発区域を拡張した駅北側と、美観地区とその中核を成す日本初の西洋美術専門の美術館、それをつなぐ商店街の流れを、どんな物語で、全国に発信していくのでしょうか。

 ピンチをチャンスに。倉敷で最近、合言葉のようにささやかれている言葉です。
 そして、この合言葉を、今、具現しようとしているのは、倉敷を中心とした県内各地に散らばったチボリの元スタッフたちかもしれません。
 編集長の思いつき企画「ホンネdeチボリ」、次回、最終回は、こうしたスタッフの「ホンネ」を拾い上げて、お届けしたいと思います。

※ このエントリーは、Vision岡山さんのご厚意により、3月23日号に掲載されたコラムを一部加筆してお届けしています。
posted by チカクの中の人 at 00:00| 岡山 ☁| Comment(0) | ホンネdeチボリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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