2009年03月30日

ホンネdeチボリ No.5/5

県や市の駆け引きは
言ってみれば井戸端会議のようなもの。

 ホンネdeチボリ最終回は、マイクを向けられても、出ることのなかったスタッフのホンネを拾い上げてみました。

チボリは100年先を見据えた一大事業ではなかったのか

 さまざまなキャリアを持つ同僚と働き、地元の方々、取引先や地元の若い経営者とも意見交換ができ、チボリを中心にいろいろな和ができたことが今の仕事に役立っています。
 私は、「チボリ公園」は100年200年先を見据えた県民・市民の憩いの場を創っていく場所であり、将来、岡山県の大きな財産になる施設だと聞かされて入社しました。働きながら私もそう感じ、働くことに誇りをもって最後まで仕事をしてきました。
 しかし、チボリを生きがいに生活の一部としていた多くの県民・市民や、現場の従業員とは、全く関係ないところで閉園することが決まり、閉園すると決めた方がこういった人たちにたいした説明をしないまま、粛々と業務の整理が行われていった。
 今、改めて考えても、このやり方は理解できません。
(倉敷市・会社員・男性)


 緑や花と建物など景観そのものがみごとに、また贅沢に造りだされていた。そんなチボリでの経験は、職場での信頼感につながっている。
 一番納得がいかないのがやはり県の責任のとりかただ。はっきりとしない態度のまま何ヶ月も無駄な時間が過ぎた。ただ、残されたチボリの心根の部分を受け継ぐ仲間ができたことに感謝したい。
(赤磐市・自営・女性)


倉敷駅前で育まれた樹木を切り倒して、緑化フェア?

 楽しく、やりがいのある仕事をさせていただきました。どんな業種に就労しても、経験を役立てることはできると思います。
 限界まで経費を節減し、あのままの状態で運営を続けていくことは、労働力確保の面でも厳しかった。だから閉園は、選択としては正しかったのではと感じます。
 それにしても、ただ、すべて更地にしてしまうのは、それまでの県の行ってきた政策や、同じく整備してきた駅の北側すべてを否定しているようで、寂しく感じます。噴水等も残していただきたかったです。
 倉敷駅前で、十数年育ててきた樹木、毎日手入れされてきた花壇をつぶす同じ年に、別の地域で緑化フェアを行うのは税金の無駄遣いのような気がします。
 『ハンスの冒険』のような素敵な物語がいつまでもご覧になったお客様の心の中で生き続けてくれることを願います。
(倉敷市・団体職員・女性)


 チボリでは、一つのことに留まらず、色々な経験ができました。まだまだ、勉強が必要ですが、今までの経験を十分活かせていると思います。
 チボリがあって良かったという人が、大勢います。また、全国から遊びに来てくれた人たちの思い出を壊していくのは寂しいです。
 北欧の街並み、活気あるスタッフ、大人気のアトラクションなど…、全部でチボリだったのに。緑を残しただけで人は集まるのか疑問です。
(倉敷市・会社員・女性)


チボリがなくなって可哀想なのは、スタッフじゃない

 チボリの良かったところは、圧倒的な認知度と倉敷駅前という立地。老若男女に愛される公園としての公共性。坂口社長の責任感と実行力。エンターテーメントの質(ハンス・チボ森・最後の核になったTE)。ビアガーデン(広場開催に限る)の雰囲気など。
 悪かったのは、開園までの経緯を巡るイメージの悪さ。行政の責任の擦り合いとそのトップの責任感の欠如。チボリ社のトップ以外の船頭の多さ。
 チボリがなくなって可哀想なのは、働いていたスタッフでも、倉敷駅界隈で集客を見込んで商売されていた方でもなく、チボリ公園って楽しいなぁ、また来たいなぁと思ってくれていたお客様だと思います。
チボリの形はなくなっていきますが チボリの意志はなくならないし、なくしてはいけないと思っています。
(玉野市・会社員・男性)


 県や市の駆け引きは言ってみれば井戸端会議のようなもの。開園当初、喜びが伝えられたデンマークの人たちも悲しんでいるだろう。
(倉敷市・団体職員・男性)




※ このエントリーは、Vision岡山さんのご厚意により、3月30日号に掲載されたコラムを一部加筆してお届けしています。
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2009年03月29日

ホンネdeチボリ No.4/5

チボリの墓碑銘を、どこに刻むのか。

 「みんな、黙って見ないふりして、チボリなんてなかったことになればいいって、思っていますか?」
 「そんなことない。更地になってしまったら反対・賛成に限らず責任があるって、思うよ!」
 チボリ反対派と常々言っていた、NPO法人・町屋トラストのNさんにひねくれた質問をしたら、きっぱり、答えが返ってきました。

 選挙結果から言えば、ここ20年来、常にチボリを争点に「充たされない半数の民意」を、岡山県は抱えていたことになります。今回のチボリ閉園にまつわる事柄を、市や県の偉い人に尋ねると「政治的な決着はついたのだから」と一蹴されてしまうのですが、それでは「民意の真意」は、また汲み取られることがないのだな、と思うのです。
 チボリ跡地の有効利用を、市は県に、県はクラボウさんに要望し、クラボウさんは県と旧チボリ・ジャパン社から要望があれば、とのこと。そうこうしているうちに、解体は進みます。「チボリがなくなってもいい」とは思っていない。ましてや更地なんて。
 「民意の真意」はどうもそんなところにありそうなのに、決定能力を持つはずの当事者の不作為によって、駅前の小さな緑の宝石箱は、意味のない冷たい骸に変わっていきます。

 人の通わない川沿いを緑道として整備し、バイキングに囲まれた駅北口のアンデルセン広場と、いったいどんな物語でつなぎ、「クラボウの工場跡地」と書かれた石盤の横にどんな墓碑銘を書き加えるのでしょうか。
 もっと俯瞰して考えれば、チボリの南側まで開発区域を拡張した駅北側と、美観地区とその中核を成す日本初の西洋美術専門の美術館、それをつなぐ商店街の流れを、どんな物語で、全国に発信していくのでしょうか。

 ピンチをチャンスに。倉敷で最近、合言葉のようにささやかれている言葉です。
 そして、この合言葉を、今、具現しようとしているのは、倉敷を中心とした県内各地に散らばったチボリの元スタッフたちかもしれません。
 編集長の思いつき企画「ホンネdeチボリ」、次回、最終回は、こうしたスタッフの「ホンネ」を拾い上げて、お届けしたいと思います。

※ このエントリーは、Vision岡山さんのご厚意により、3月23日号に掲載されたコラムを一部加筆してお届けしています。
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2009年03月28日

ホンネdeチボリ No.3/5

僭越なり、と、社長にしかられそうですが…


 坂口社長。今日、RSKラジオのTさんとしみじみ話したのですが、開園日の実況でチボリを訪れた時、建物の細部にわたるこだわりに100年続くヨーロッパ型の公園の幕開けを感じたのだそうです。そういえば私も、100年続く公園の礎を築けるなら、岡山に嫁に来た甲斐があるってもんだと思っていたことを、思い出しました。
 私の妹は東京ディズニーランドの開園時の社員で、よくバックステージの様子を話してくれましたし、人に夢を与える職場で働くことに私も憧れがあったのです。
 規模の違いはありましたが、開園の頃のチボリのレギュラーショーの完成度の高さは、TDLに劣るものではなく、子供からお年寄りまで幅広い年代層に感動を与えたという点では、それを越えていたといっても言い過ぎではありませんでした。
 惜しむらくは、こんな駅裏の遊園地に、当代随一のクリエイターたちによる優れたコンテンツが集積していることを、十分に認知していただけなかったことでしょうか。
 
 それらをすべてやめて雌伏5年、坂口社長の就任後、10周年の記念事業として提案した「ハンスの冒険」の企画が通り、さらに待望の完結編を上演できたことは、まさに望外の喜びでした。
 岡山の子供たちに生のステージにふれる感動を…。チボリの原点はここから始まり、その願いは変わることはなかったように思います。
 
 私もアキラメ悪く、チボリの優れたコンテンツを未来に残したいという思いが捨て切れず、倉敷駅前に小さな組織を立ち上げてしまいました。受け皿になるにはかなり力不足ですが、救えるものがあるのなら、いろいろな方のご助力をお願いし、私も力を尽くします。
 今となっては誰に訴えたらよいかわからず、こんなところに書いてごめんなさい。これは私の、そして多分、岡山県民半分ぐらいのホンネだと思うのです。

 朝あった建物が夜にはない…。そんなチボリで今も働く、かつての仲間たちの気持ちを思うと、心が痛みます。日々の安全と健康をいつも念じております。


※ このエントリーは、Vision岡山さんのご厚意により、3月16日号に掲載されたコラムを一部加筆してお届けしています。
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2009年03月27日

ホンネdeチボリ No.2/5

駅の近くをもっと元気に。私たちがチカクです。

 「あのさ、ボリのルチャーラブから生まれたグループだから、チカクって名前はどう?」

 夫のオヤジギャグ炸裂の提案を「アリエナイ」と、冷たく切り捨てた私。ところが仲間たちからは好評で、そう言われてみればチボリの核を残したい、というのが「最初の思い」だし、駅の近くでこの森の今後を見守りたいという「強い気持ち」があったことも思い出しました。
 こうして名称も決定し、私たち、チボリで業務経験を持つ女性を中心に、チボリで行われてきた公益性の高いソフト事業の受け皿になることを目指した「一般社団法人チカク」がはじまりました。

 最初は閉園の報道に落ち込むスタッフと自分自身を慰めるつもりで言った、単純な思いつきでした。「私たちがしてきた子供向けのイベントは園外でもできる。毎年なにか、みんなでしようよ」。それがそのうち、いろいろなキーワードで肉付けされふくらんでいきました。
 「チボリにある商売のシステムと、社会に還元するシステムを分け、NPOを作ったらどうだろう。緑の森や優れたソフト資産、多くの市民や子供たちが利用しているカルチャー教室や、そこから派生した文化事業は、市民のため残す価値があるし、駅前の森を維持する最低限の行政の財政的支援は必要だけど、公益事業として自立運営ができるかも。」
 マスコミが大々的に報じたとおり、当時、株主総会でも、いくつかの案が錯綜して私ごときの思いつきを語る場もなく、ようやく社長に「事業型NPOでチボリの公益性を残せないか」と提案できたのが、昨年9月に入った頃。著しく空気の読めていないその提案への裁定は、結局、年明け以後どうするかについて、個人が動くことを止める理由はないということになりました。

 報道や社内で伝え聞く情報から、私には「公園機能は残したい」という行政の文脈に、人が通い集う「ソフト」についての概念がないように思えました。そのとき感じた「価値あるものが残らないかもしれない」という恐れが現実になりつつあることは、2009年3月2日のこのコラムで書いています。

 「今は怒りを長引かせるよりは、私たちにしかできない新たなチボリを息づかせていくことに、力を注いでいきましょう!」。元植栽スタッフ、Mさんのメールからの引用です。

 そんな思いを持つ仲間たちがここに集まりました。そんな気持ちのある人の願いを実現する場になればいいと思います。駅の近くを、もっと元気に。私たちがチカクです。


※ このエントリーは、Vision岡山さんのご厚意により、3月9日号に掲載されたコラムを一部加筆してお届けしています。
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2009年03月26日

ホンネdeチボリ No.1/5

あのチボリを、なかったことにしちゃうんですね?

 「アンタにしか書けない、チボリもあろうが。なぁ?」と、Vision岡山・A編集長の思いつきから始まったこの企画。
 昨年末までチボリの禄を食み、岡山県キモいりの再就職支援の護符を持つ、元チボリ社員がホンネで語る「実体験的チボリ最終章/その後」。 そういう訳で粛々と、本音でお届けいたします。
 
 いや、もう信じられません。園の東側から湖畔にかけて存在している噴水や銅像や欧風庭園・街並などを含め、多くの市民に愛されたチボリの真髄である「修景の美」。市民公園となって木戸銭(入場料)のない街並になれば、十分に観光資源となりうるその景色が、内装を剥がされ窓枠をノコギリで削られ、怪獣に踏み潰されるように消えつつあります。
 
 私は、倉敷市が市民公園を目指すのであれば、使い勝手が悪く、稼働率が低く、中途半端な大きさの「箱物」である駅前の劇場より、残すべきものがあると思っていました。
 特にチボリの魅力である景色の要となっている施設は、旧チボリ・ジャパンが所有する商業施設であり、遊具の解体同様、その運命は明らかです。それでも、市民に愛された公園としての魅力を少しでも残そうと思うなら、チボリの東側を中心に外周に沿って点在する、小さな店舗に「景色」をつけて貸し、その収益を、たとえば子育て支援に還元したら、と思っていました。
 昨年の12月6日の市民説明会のメモを改めて読み直してみると、東側半分を残せという意見があるのが目に留まります。倉敷市民の思いは整備された緑道ではなく、建物と森を含めた「修景の美」だったのではないのでしょうか。

 設立から身の丈にあわぬ負債を背負わされて始まったチボリ・ジャパンの清算は仕方のないこととして、新しい倉敷の公園になればいいと、私は思っていました。
 でも管理する組織がないからと、あれだけの施設を活用の脈絡なく潰していくのでは、あまりにも知恵がなく、情けない。外から見れば「岡山・倉敷」のこの顛末は、恥ずかしいことであるとすら思うのです。
 「しかるべき方があれだけ力を注いでこの結果だったのだから」「政治的決着はついたのだから」…と人は言い、その通りとも思うのですが、次の物語が見えてこないまま、遊具の解体にあわせて建物と周囲の森も潰されています。
 中途半端に残った県有施設も、いずれなかったことになるのでしょう。まるでそうなることをじっと待っているかのようにすら思えてきます。

 起こったことはすべて正しい…。最近のビジネス書の言葉を引くまでもなく、開園も閉園もその時々の民意を反映したもので正しい。
 でもそこで立ち止まったり、黒く塗りつぶした歴史を、自分の中にも倉敷にも、残したいとは思いません。私たちは、子供たちの夢を育んだチボリの姿を正しく伝え、ささやかでも、新しいチボリの物語を始めたいと思っているのです。


※ このエントリーは、Vision岡山さんのご厚意により、3月2日号に掲載されたコラムに一部加筆してお届けしています。
posted by アカギヨシコ at 00:00| 岡山 ☁| Comment(0) | ホンネdeチボリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする